00.その男、拝命す。
「そろそろ落ち着いて、子供の顔でも見たいよね」
帝国歴三千年の節目を迎えためでたき朝、格式ばった寿ぎを受けた皇帝陛下が臣下に向かってそう告げた。
午前の謁見の間には、重要な案件について下賜があるとの通達に見合った面々のみが馳せ参じていた。人数はそれほど多くなく十にも満たないが、各々の左肩から胸元にかけて飾り付けられた【葉】の枚数は数え切れない。それは彼らの誰もが何かしらの形で帝国に大きく貢献していることの証であり、今回の下賜がいかに重大であるかを明らかにしていた。
一瞬場の音が消え、次いで陛下の言葉の意味を理解した者から順におお、とのざわめきが始まる。「ようやくですかな! いや、これは喜ばしい!」などと一際盛大に騒ぎ立てているのはビットマン卿だろう。それに迎合しているのは腰巾着のカペル卿か。
「それでは陛下、ふさわしき御方を選ぶ方法はどのようになさいますか」
ビットマン卿が咳払いをひとつし、さも何でもないことのように陛下に尋ねる。誰よりも興味があるだろうに、と思ったが口にはしない。諸侯も同じ考えであるようで、ぎらついたビットマン卿の様子よりも次の陛下の言葉に意識が向いているようだ。
「そうだね。僕としては、あるものを有効的に活用するべきだと思うのだけど」
「あるもの、と仰いますと」
「あれだよビットマン卿」
陛下がわずかにくい、と上げた顎で窓の外を示す。皆が視線を外へと移し、そしてああと納得した様子で陛下に向き直る。
「それは重畳。では細かな面倒事はこの私に」
「ムダに豪奢、歴史上使われたのは二十回程度、なのに何故だか使用人は増え続けている国庫のお荷物、だったっけ? クラウス」
「はい」
陛下がこういう良い笑顔で話を振ってくるとき、それは九割方が面倒事だとクラウスは身をもって知っている。斜め前にゆったりと座している彼が面白そうにクラウスを眺めている。今度は何をするつもりだと睨みつつ「国政上最も不要なものかと」と続ければ、ビットマン卿が鼻で笑う様子が見えた。
「お言葉ですがクラウス殿」
「何か」
「後宮は、歴代皇帝の妃選びのためだけにあるのではございませんぞ。妃選出が済んだ後は、次代の皇帝陛下と皇妃にふさわしい臣下を教育する場として大変役に立っております。特に、後宮で数年の勤めを終えた娘は良縁に恵まれるともっぱらの噂でしてな。作法の習得のみならず他家との繋がりを深めるためにも是非に、と、諸侯が望んでおるのです」
ビットマン卿はちらりちらりと陛下に視線を送りながら口を動かし続けている。「増え続けていると仰いますがなクラウス殿、これでも希望の半分以上は厳正な審査にてお断りしておるのですぞ」
「厳正な審査」
「さよう。次代のための大事、手を抜くことはできませぬ。臣下の婚姻の橋渡しとは、すなわち今上陛下の代のみならず、更に後の御世の礎を作らんがためのこと。貴殿には見えずとも、後宮は常に動いておるのです」
次第に熱の入り始めたビットマン卿の話を半分聞き流しつつ、クラウスは上座をちらりと眺めた。陛下は変わらず良い笑顔で話を聞いているようだ。
「それをお荷物だとは。いやはや、軍備にばかりかまけておいでで、政の、物事の本質というものがお分かりになっていないのではありませんかな?」
クラウスと陛下を交互に見るビットマン卿の口がようやく閉じられた。その口元がクラウスを蔑んだように歪んだのは瞬きの間で、すぐに媚びた笑いを貼り付け陛下に頭を垂れる。
「陛下の謁見の場において差し出がましいことを申しましたこと、どうかお許し下さい。クラウス殿も、どうぞご機嫌を損ねませぬようお願い申し上げます」
「うん? ああ、構わないよ」
クラウスはこのとき、口達者な狸爺の鼻っ柱を叩き折るにはどうしたらよいかと考えていた。ありがたくも困ったことに、叩き折るどころかそぎ落とし粉砕することが可能なほど反論する材料はあった。それらから最も的確なものを選ぶのに時間が掛かってしまったクラウスは、だから陛下の笑顔がより輝きを増したことに気付かなかった。
「今回で取り壊すからね。あれ」
「は……は、あ?」
恭しく頷いたビットマン卿がぽかんとした顔で陛下を見上げる。その顔はだんだんと紅潮していき、喉からは言葉にならない声がふがっふがっ、と漏れていた。何事かを言いつのりたいのだろうビットマン卿を見ることなく、陛下がのんびりとした口調で「最後だからさ」と続ける。
「惜しみなく華々しく使えばよいと思うよ。クラウス」
「はい」
「――クラウス・アウス=シュヴァルツ・インテグラル。お前に花嫁探しを命ずる。諸侯はクラウスより要請があれば適宜助力せよ。細事に関しては追って伝える」
「謹んで拝命致します」
短く答え、深く一礼をしながらクラウスは息を吐き出した。断言できる。こいつは、ここ最近で一番良い顔をしているはずだ、と。
「クラウスは部屋に来て。はい、本日の謁見は終わりです」
ひらりと手を振り退出を促す陛下に一礼をし、諸侯が一人また一人と姿を消す。
陛下の姿が消えてなお、ビットマン卿は深く長い礼を続けていた。そして、誰よりも早く頭を上げ今後の予定について思案をしていたクラウスへと近付き、苦々しい顔で告げた。
「戦の絶えた今度は政へ手を出されるおつもりですかな、クラウス殿」
「出さずに済むなら何よりですが」
「……身の程をわきまえられよ」
暗く粘り気のある一言を残しビットマン卿が去る。ふむ然り、とクラウスも動く。「軍の統括、狸共の尻尾追い、他国の諜報と情報操作。加えて」
クラウスはわきまえている。今の彼にはこれ以上仕事をする余裕などない。時間がない。やる気もない。
「よい年をした身内のお守りと、その嫁探しか」
しかしいかなクラウスとて、親と兄弟は選びようがないのである。
程なく皇帝の執務室前に着いたクラウスは重厚な扉に彫り込まれた印に手をかざした。楯形の内側に描かれた十字を止まり木とし羽を休める鷹、という意匠のそれはここ帝国インテグラルの国章である。国章は手をかざしてすぐに淡く光った。鷹は畳んでいた翼を広げ、クラウスに背を向けると印の奥へと飛び去っていく。その様子を眺めつつクラウスは指を印に沿わせてみた。彫り物特有の凹凸はあるが背面に穴などは開いていない。今し方自分でしたことであるし、無論今回が初めてだということもないけれど、クラウスにはどうしても不思議でならない。「一体」
「入って」
クラウスの独り言を遮るように印から声がした。籠って聞こえたのはクラウスが手を押し当てたままだったからだろう。ちくりとした痛みに気付きやっと手を離すと、嘴を突き出した鷹がふん、と顎をもたげている。
「何してるの? 早く入りなよ」
「今行く」
扉を開ける前、クラウスは鷹に軽く頭を下げた。邪魔してすまん、という意味を汲み取ったのだろうか。鷹は満足げに羽を膨らませ、十字に止まり動かなくなった。
* * *
「部屋の前で何を考えていたのか当てようか」
開口一番「用件は」と言ったはずだがと、クラウスは目の前に差し出された茶を一瞥し思う。ソファにゆったりと腰掛け脚を組み、カップを手にした男は笑ってクラウスを見ている。
白を基調とした豪奢な服、銀糸の如き髪を邪魔そうに掬い上げる細い指、いつも笑みを絶やさぬ整った顔。それらのどれもが対照的な男とクラウスにはふたつ、同じものがある。
「今度の僕は一体何を言い出すのか。違う?」
緑色の目を弓型にした男が得意気に言う。クラウスは男と同じ色の目を男よりも細め、次いで小さく溜息を落とし答える。「違う」
「ま――いや、何でもない。お前には一生理解できんことだ、陛下(リヒト)」
「え、なに。言い掛けたなら最後まで言いなよクラウス」
「もう一度言う。用件は何だ」
あーもうこの子は全く、などとぶちぶち言うリヒトに「陛下」との声が掛けられる。
「貴方と違いクラウス様はお忙しいのです。紅茶が冷める前にお話しを始めなさいませ」
国の頂点に立つ兄弟が揃って顔を並べているこの場において、一番発言力があるのは間違いなく、ティーポットを持ちリヒトを睨み付けているメイド服の女性である。
「それとも、御自分のお仕事に加えクラウス様のお仕事を僅かなりとも負担するおつもりですか、陛下」
「いや、それはご免被ります」
すぐさま拒否の言葉を発したクラウスに続き、リヒトが大仰に頷きながら言う。
「全くの同意見だね。珍しく意見が合うじゃないか心優しき我が弟よ」
「仕事をこれ以上増やされたくないだけだ。この意味がご理解頂けるだろうか聡明な兄上よ」
「ああ言えばこう言うんだから」
「どっちがだと思っている」
「陛下」
丁々発止を遮る低い声色にはい、と背筋を伸ばしたのは、リヒトとクラウス両名である。
「さ! お茶が冷める前に建設的な話を始めるとしようかクラウス」
「ああ」
居住まいを正した二人へ小さく礼をし女性がカップを下げる。もうとうに冷めておりますので淹れ直しますわ、どうぞ待たずにお始め下さいと言い残す辺り、その大変な有能さが窺い知れるなとクラウスは思う。
「あ、はい。お願いしますメイド長」
ぺこりと頭を下げるリヒトに「メイドに頭を下げないように」と宣い彼女は下がった。リヒト付きとなり十九年目、数多のメイドを纏める彼女には、現皇帝たるリヒトも皇弟である自身も恐らく一生敵わないのだろう。
「まあ、あの場で言った通りなんだけど。お嫁さんを探して来て下さい。後宮を使うこと以外の希望はありません。よって容姿、性格、家柄諸々も問いません。つまりはお前がいいなと思った子ならどんな子でも良いよ」
微笑みながら話すリヒトに対しクラウスは言いたいことがいくつも浮かんだ。が、口にしても不毛だろうと考え黙って頷いた。それから少々考え込み、リヒトに聞くべきことを脳内で纏めてから口を開く。
「だが、今あの場には適齢の女など居ないぞ」
「あれ、そうだっけ。暫く使わないからみんな帰ってって言ってからどれくらい経ったのかな?」
「十年近くだと記憶しているが。今残っているのは帰る場所が無い者か、あわよくばと目論むも当てが外れた者だけだ。お前、本当に」
思わず零れた疑問へ対し「なに?」と首を傾げるリヒトに「いや、いい」と答える。クラウスは実兄の閨事情に興味があるわけではないし、何よりこれ以上無駄話で時間を使うことは本意ではない。
「では、まずは女を集めるところからだな」
「そうだね。あ、希望はないって言ったけど」
やっぱりひとつと言い出したリヒトを見て、クラウスは何となく嫌な予感がした。クラウスにはこの手の予感は大抵当たるという嬉しくない自負がある。
「見飽きた娘さんたちだけじゃつまらないから、国内外問わず幅ひろーく、募集してくれる? 触書でも作ってさ」
「……了解した。もう希望はないか」
「うん、これだけ」
クラウスは満面の笑みを湛えたリヒトに向かって言いたかった。何がこれだけだ、それがどれだけ面倒なことかわかるのか、と。しかしここもぐっと堪え、他の要点を詰めていく。
それから二人は三十分少々意見交換をし大まかなことを決めた。準備は今月中。費用は広報費とリヒトの個人資産で賄う。募集期間は来月木の月第一日光の日より月末の月の日まで、募集地は国内を始め主要五か国。翌水の月第一日より槍の月第二雷の日までを選考期間と定め翌日各家に伝達する。候補者の入居は馬の月始めより順次行い、遅くとも同月第三法の日までには終わらせる。そして同週雷の日より、クラウスが各部屋を訪問し各位と面談、第二審査に入るものとする。等々。
粗方を記憶し終えたところで一息吐き、クラウスは紅茶を口にした。すっかり冷たくなっているものだと思っていたそれは適温を保っており、見えないところに下がったままの彼女は相変わらず細事にも手を抜かないのだなと感心する。そうして潤いを取り戻した口でクラウスはリヒトに告げた。
「とりあえず、お前も書類選考位には携われ。現在後宮に残っているのは五名で残りの部屋数は二十五。少なくとも、」
「わかったよ。僕が十五人選ぶね」
「……確認するが、五人の間違いではないな?」
「十五人、選びます」
クラウスは、意外にも協力的なリヒトに驚きつつ「言質は取ったぞ」と念を押した。はいはいと笑うリヒトの背後に在らざるものが見えた気がして、クラウスは柄にもなく目頭を強く摘んだ。
「クラウス、なんですかこれは」
五日後、クラウスは再度リヒトの執務室を訪れた。手には激務の合間を縫い作成した件の触書がある。リヒトの手にも同じものがあるのだが、クラウスのそれとは違い端々に黒いものが付いている。リヒトの手が魔力で覆われているのを見る限り、煤のようなそれは自分の落ち度ではないなと判断しクラウスが口を開く。
「お前は全て私に任せると言っただろう」
「確かに言ったけどさあ。ねえ、大丈夫?」
お前に任せて、と、リヒトが焦った様子でクラウスを睨め付ける。常に飄々としたこいつの珍しい顔を見ることができた分くらいは睡眠時間を削った甲斐があったかと思い、クラウスはここ数日分の溜飲を下げた。
「ああ。もう既に国内外への通達も済んでいる。費用の件も心配ない。狸共も今回ばかりは我先にと援助を申し出て来ている。精々豪勢に使わせてもらうことにした。お前の懐は痛まずに済むぞリヒト」
万事滞りなく進みそうで良かったなと、心からそう思ったクラウスが微かな笑みをリヒトへと向ける。
「仕事へ戻る」
臣下の礼を執り皇軍服を翻したクラウスは執務室を後にした。そして本日の仕事場である軍本部へ向かいつつ、最近発生した懸案について思いを巡らせる。腹黒たちから金銭が出てくるであろうことは予想していたが、その額はクラウスの想像を大きく超えていた。次期皇妃候補の選定に幾許かでも有利になればと考えていることは確かなものの、誰とて無い袖を振ることはできない。彼らはその金をどこから調達しているのか。搾取か、強奪か、はたまたその両方か。
戦の直後に出された触れへと差し出される富。飢えた人々に開かれる国庫。一方はぶくぶくと肥え、また一方は着々と確実に餓(かつ)え喘いでいる。「いつまでも続けられると思うな、狸共」
「シュヴァルツ司令」
小さく呟いたクラウスへ頭上から声が掛けられた。鷹がクラウスの右肩に止まり耳元へ嘴を寄せ低く囁く。「諜報部より伝達。先日の懸案について資料ができたとのこと」
「すぐに行く。ヤト少将を呼んでおいてくれ」
執務室を出ての十数歩は、クラウスから兄を思い遣る弟の顔を剥ぎ取るのに十分だった。中空で消える鷹を見送り、先程よりも足早に本部へと向かう。皇弟として、軍の頂点として、成せることを。常々そう考えるクラウスは、己の本分に相応しい表情で今日も仕事をするのである。
「見て下さいこれ。どう思います?」
「拝見します」
メイド長がリヒトに差し出された紙を受け取り、一番下まで文章を追い、再度文頭へと視線をやる。
「一風、変わった趣向、でございますね。ですが、それくらいの方でないととても務まらないとの慮りでございましょう。ありがたくお思いになられては」
彼女の怪訝な表情はそうそう見られるものではなく、そのことからもリヒトは自分の感想が間違っていなかったと再確認できた。一礼をして下がるメイド長に茶を頼み、リヒトはもう一度文面を眺める。
※急募※
陛下の嫁(終身雇用)
〜来たれ、強い意志と不屈の精神を併せ持つ女性〜
「色々おかしいけど、まあいっか」
どうにかなるでしょと笑うリヒトの前に茶が差し出された。礼を告げ、温かな香りを胸一杯に吸い込む。
「穏やかな春が、来るといいですね」
窓へと視線を移したリヒトが酷く優しい目で呟いた。常とは違う、作り物ではないその横顔にメイド長は瞠目したが、振り向いたリヒトの「あれ? もしかして見惚れちゃいましたか?」という言葉で現実に戻った。
「公務のお時間でございます、陛下」
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大したおもてなしも できませんが
本編
00 義務と権利
01 ポスティングサービスに関するお願い
02 愛玩動物との生活
03 ゴミ問題について
04 騒音被害
05 チカン、ダメ、絶対
06 ポスティングサービスに関する疑問再び
07 義務の放棄と権利の失効
08 退去時は30日前までに不動産会社までお知らせ下さい
09 またその際ライフラインは退居後に停止することを推奨致します
10 大したおもてなしもできませんが
あちらの世界はというと